『子は親を救うために「心の病」になる』を読んで思ったこと。
キラキラというか、親側におもねったタイトルが嫌いで手に取ったことがなかった本だったが、入院したのを機会に読んでみた。
カウンセラーの著者が診てきた親子カウンセリングの症例から、「生きづらさ」を紐をほどくように見つけ、見つめていくに至る過程が描かれている。
各章ごとに、様々な家庭で子どもの問題行動に悩まされていたが、親側の心理的問題への気づきがあると、憑き物が落ちるように子どもも安定していく……という形で内容は進んでいく。
思ったより親側に肩入れをしていなかったこともあって、あまり抵抗感を持たずに読めた。(毒親育ちなので、親を選んで生まれてきたとかそういうのが苦手だ)
読み終えて気づいたのは、心理的な問題や、生育過程で持つことになった思考の癖は誰にでも大なり小なりはある。でも子どもが心理的症状をきたす家庭では、そういった「親の理屈」を押し付けるようにして育てているのだ。
どうしてそうなるのか。親が自分以外の生き方を知らない故に、子どもにそのまま自分の価値観を押し付ける。辛くても親への思慕故に頑張っていたが着いていけなくなった子どもに、症状が現れてしまう。
親が子どもに合わせてオーダーメイドの関わり方をするのでなく、自分をコピーするように育てようとしている。そこに別の価値観や特性をもつ子ども側を知ろう、見守ろうという姿勢はあまりない。しかし内容に出てくる親たちは「悪い親」というほどの人々でもない。ただ「子どもを導く」という行動原理が強い。
発達障害者のわたしは、この「合わないやり方を押し付けられる苦痛」に敏感で、反抗する子どもだった。しかし、通常の人々はその苦痛をやり過ごそうとして張りつめて、ゴムが伸び切るように合わせられなくなってしまうのだろう。